神野紗希氏の赤面

 『俳句さく咲く!』(Eテレ)は、ノンスタイルの井上がMCをしていることからも分かる様に、バラエティー風で私の様な初心者向けの番組となっています。
 5月末の放送では、講師役の神野さんも含めて、ノンスタイルの2人、室井滋など6人で恒例の「ミニ句会」が行われました。番組の句会は、良いと思う句だけでなく悪いと思う句にも投票する方法です。プロの神野さんは、いつもの様に作品は出しますが投票はせず、全体の批評やまとめをする役目です。
 そして、その日の句会で圧倒的なダメ句として5人中4人が選んだのが、
 『 サングラス渋谷に生者溢れたり
という句で、この句を良句として選んだ人はひとりもいませんでした。誰の作品かを発表する前に皆で批評をする訳ですが、井上だけがこの句をダメ句として投票しなかった(自分の句には投票できません)ものですから、皆はてっきり彼の句と思い、散々貶します。中にはヤンキーの中学生の作品と酷評する者まで出る始末でしたが、その句はなんと神野紗希さんの作品でした。・・・・。
 私は、以前、俳句は作る方は勿論だけれども、それ以上に、その句を読み理解する方の力量が問われると書いたことを思い出しました。
 もちろん「テレビ」ですから、出演者が何らかの意図を持って選んだとか番組スタッフの演出が加味されたといった可能性も当然考えられます。しかし、やはり俳句には17文字という厳然たる不自由さが存在し、そのために描かれた世界が思い通りに受け手に伝わらず、今回の様にプロの作品が最も低い評価を受ける現象が起きても不思議ではありません。分野を問わず、どれだけ説明しても相手の理解できる高しか伝わらないのが世の常ですから、当然といえば当然ともいえる結果なのです。
 では、同じように見えるプロとアマの作品の優劣をどこでどうやって判断するのが正しいのでしょうか。プロの作品の場合はその良さを理解できない私達が問題で、アマの作品の場合はその程度のものとしてスルーされるというのでは、やや不公平です。
 私は、その辺のモヤモヤは、“共有できる感動の総量”で比較できれば解消できるのではないかと思いました。例えば、私にはピカソの絵に大金を投じる気持は理解できませんが、ピカソを愛し彼から強い感動を受ける多くの人達にとっては、少々の金額では代えられない世界がそこには存在するのです。スポーツと違って数字でレベルを説明できないのが芸術文化ですが、こうした“感動の総量”という概念が導入できれば、そしてその量は、《深さ×人数》で算出するという決まりが共有できれば、随分と明朗な評価が可能になると思います。つまり、簡明なために多くの人が受け取れるとか、難解だが解る人には深部まで届くといった“感動の数量”を基準にした議論が交わされるという訳です。それでも、結局は、思いの深さをどう測るのかという大きな課題が残りますから、問題がスッキリ解決する訳ではありません。しかし、出版部数や視聴率が過度に作品の価値基準にされているような気がして、こんな思いつきを書いてみたくなりました。
 ところで私の神野紗希さんの作品に対する感想ですが、規制されるとはいえ、サッカーW杯出場を決めた今日(4日)の『渋谷』を見越したものだとすれば、恐るべしです。それにしても井上の相方石田は、4月の番組で最優秀作に選ばれるなど、結構俳人としての才能があるのではないかと思わせています。負けないぞ!

※神野紗希(こうのさき):1983年、愛媛県松山市生まれ。高校時代、俳句甲子園をきっかけに俳句を始める。2002年、第1回芝不器男俳句新人賞坪内稔典奨励賞受賞。句集に『星の地図』、『光まみれの蜂』など。
(NHK俳句6月号より)

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