軽々しい避難勧告はどうかと思う。

 気象庁は特別警報を出すことに躊躇すべきでないし自治体も空振りを恐れず早めに避難勧告すべきだ、というのが台風などに対応する場合の今の日本のメディアを含めたほぼ共通の空気だと思います。しかし、私はこの意見に反対です。南木曽町の土石流で犠牲者が出た後でもそう思います。
 理由は幾つかあります。
 まず第一に、避難所はそこそこストレスのかかる空間であり、短期間とはいえ住居を離れることは決断を要することだということです。つまり、『避難』という一大事を行政として勧める訳ですから、そうそう簡単に空振りが許されていい訳がありません。
 もう一つの決定的な理由が、その一大事である避難が空振りに終わることが何度も続くと、本当に避難が必要な時にそれに応じないという事態を招きかねないということです。避難勧告する場合は、そのまま住居に留まることの具体的な危険性も併せて知らせることが欠かせず、そのためには常日頃からその地域の脆弱性を情報公開しておくことも重要です。現在のハザードマップ程度ではまだまだ具体性に欠けます。
 首長の責任逃れとして「避難勧告」が使われているとは思いませんが、本当に大事なことは、この程度では大丈夫だから安心しろと言える環境整備だと思います。そして、議員辞職「勧告」などでも分かるように本来それに従うのが筋なのが「勧告」ですから、出す以上は重大な決意をもって『避難勧告』すべきだと思います。
 気象庁では、
大雨や強風などによって災害が起こるおそれのあるときは「注意報」を、重大な災害が起こるおそれのあるときは「警報」を、さらに、重大な災害が起こるおそれが著しく大きいときは「特別警報」を発表して注意や警戒を呼びかけます。
と決めています。しかし、私達は「注意報」で本当に災害を気にするでしょうか。「特別警報」のステージが新設されると「警報」ですらやや過小評価しがちです。そして、今回メディアの本音と建て前の極致を見せられたのが大雨特別警報発令中の沖縄本島で恙なく開催されたDeNA対巨人戦(9日)の放送です。普段言ってる「特別警報」への備えとは一体何なんだと思わざるを得ません。「避難勧告のススメ」を軽々しく口にすることで結局欠くべからざる避難の道を選ばせないことに繋がるのではないかということ、これも理由の一つです。



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                    睡蓮
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