蔀戸(しとみど)

三国にもなく、ネットで調べてやっと今の住まいでは思い浮かばない構造の建具のことだと分かりました。この「蔀戸」という言葉を使った俳句を、そこに工夫があるという理由で櫂未知子氏が評価されています(NHK俳句12月号)。

今でも蔀戸という呼び方が一般に通用しているのであれば、私は全く見当違いのことを言おうとしているのですが、こうした句が「一歩抜きんでた(櫂氏)」作品だという見方には、なかなかついて行けません。

特殊な医療用語や航空宇宙用語の様に、専門家の間でしか使わない単語があります。そうした一般には使用しない言葉は、世間では殆ど手垢がついていませんから、目に触れた時には当然新鮮に映ります。その意味では、誰もが知っている普通の言葉それ自体は、どうしても「自分らしい表現(櫂氏)」とはなり得ない定めを負っているのです。

しかし、私は、見聞きしただけで明確に意味が伝わることは、作品として最低限の要件のような気がします。少なくとも、三国にもない言葉を見つけ出すことがあるべき方向だとは、どうしても思えません。そうすることは、歌舞伎の様に一部閉鎖された伝統芸能と同じことに思われるのです。俳句とはそういうものだよ、と言われればそれまでなのですが、どこか釈然としません。

四谷にて鯛焼を買ふ出来ごころ  能村登四郎
マフラーの青さが顔に映りおり   対馬康子

ひとまず"意味の通じる"こうした句の方が、私には、確実にぐっと来るのです。


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        すすき
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