『俳句斜説』・2月号 【死語と造語】

1934年の『広辞林』を適当に開いてみると、例えば1087頁には「すっぺり」という言葉があります。なんのことかと思うと、「さっぱり。すっかり。」となんてことはない説明があります。その付近には「ずちょう(図帳)・すぢりもぢる・ずつ(豆子)」などの見慣れない単語満載ですが、どの頁を開いても似たり寄ったりの状況です。

念のためですが、いつも使ってる『三国』にこれらの言葉はありません。80年という時の流れが使用期限切れの言葉を次々と葬り去っていったのです。この1月に『広辞苑』の七版が発売され1万余りの追加項目に注目が集まりましたが、私は、初版以降次第に消えていった言葉の方にも興味があります。

今生きている誰かの胸を打つためには、今生きている言葉で伝える必要があります。そのことは当然俳句にも求められている大原則の筈です。

飯田龍太は、自分の句《冬ふかむ父情の深みゆくごとく》で使った「父情」という言葉について、『まだ俳壇以外には見かけぬから、それほど上等な言葉ではあるまい』と書いています(『飯田龍太自選自解句集』/講談社)。

私達が死語を「新鮮」と勘違いするのはやむを得ないとしても、先頭に立つ専門家までがそれを肯定的に捉えるのは、明らかに誤りです。少なくとも龍太のような感覚は持つべきだ、と私は思います。



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        生きる。 【鳥羽川/25日】

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