『俳句斜説』・10月号 【読者】

小説家や映画監督の頭の中にあるのは、世間一般の普通の人です。同業者を意識して作品を作る人は、基本的にいません。そう考えると、俳句は極めて特殊な文芸ジャンルに思えてきます。

普通の人の共感よりも専門家の評価を重視する傾向は、俳句を趣味とする人の正直な心情だと思います。前にも書きましたが(*)、俳句結社をはじめとする半ば閉鎖された世界が主な表現の場となっていることがその背景にあります。一般社会では通じようもない「言語」が臆面もなく繰り出される原因は、そこにあります。
 *https://iizie.at.webry.info/201702/article_26.html

小津安二郎は、『東京物語』で"目線が合わない"という素人っぽいカメラワークをしました(大林宣彦監督「最後の講義」/BS1)。しかし敢えてそうすることによって家族の心の離散を描いた、と大林氏は学生に講義します。そして、こうした同業者しか気付かないような仕掛けは小津作品の中には多くみられる、とも語られました。

ここで私が言いたいことは、そうした"小津フィロソフィー"を知らなくても映画は十分に楽しめるということです。マニアックな約束を学ばなければ理解できない俳句の世界とは、そこが大きく異なります。

"誰に読ませたいのか"という根源的な問いにどう答えるのか…。私は、俳句を作る以上、ここは避けては通れない視点だと思います。


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     マルバルコウ 【伊自良川9/25】

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